平成20年5月2日から3日にかけて、ヤンゴンを含む南ミャンマーは大型サイクロンに直撃され、ヤンゴンでは建物、樹木の倒壊、浸水など大きな被害を受けました。
新潟大学では、このミャンマーのサイクロン被害及び中国の四川大地震による甚大な被害に対して、被災者支援の一助とすべく教職員からの災害救援金を募集していましたが、7月24日(木)に総額4,485千円をそれぞれの関係者に贈呈しました。【記事を読む】
これを受け、本学のミャンマー医療支援チームと共に医歯学総合研究科教授 、内藤眞先生が直接ミャンマーを訪れ、そのサンピュア病院に寄付を届けました。
以上の状況をご理解いただき、ミャンマーの被災者へご支援を賜れば幸いです。具体的な方法として私は下記の2つが考えられると思います。
外国のNGOなどを受け入れないミャンマーの中で、赤十字は現地スタッフを動員して活動を始めています。災害救援の経験も豊富で、もっとも信頼できる組織と考えられます。
緊急の支援物資はDHL(国際宅急便)で送ることもできます(これまでこの方法で研究資材を確実に送っています)。
本件は「新潟大学の国際交流」にも登録されています。

平成20年8月7日、私どもはヤンゴンのサンピュア病院を訪れました。院長は写真を手に被災状況を説明してくれました。サイクロン被害はこれまで経験したことのない甚大なものでした。病院の屋根が吹き飛ばされ(図1)(図2)(図3)、患者を収容することも、治療することもできなくなりました。しかし、被災した病人・怪我人がどんどん送られてきて患者を待たせることはできせん。被災地で毒蛇に噛まれた若者の搬送に時間がかかり、来院時すでに死亡していたこともありました。それでお金のあてもないのに、院長はすぐに修理にとりかかったのです。
午後1時から会議室で救援金の贈呈式が行われました(図4)。まず、院長が「内藤先生とそのグループに心から歓迎の意を表します。本院は5月2-3日にサイクロンの直撃を受け、屋根は吹き飛ばされ、早急な対応を迫られました。修復には2万ドルという私どもにとっては巨額の経費が必要になりました。しかし、新潟大学の皆様が寛大にもこの危機を救う申し出をしてくれました。サンピュア病院を代表して、またミャンマー国に代わって深く御礼を申し上げます。A friend in need is a friend indeedという諺を私たちは忘れません」と挨拶しました(図5)。
次に私が「ミンガラバー(こんにちわ)。ここで皆様にまたお会いできたことを嬉しく思います。私にとって12回目のヤンゴン訪問です。ミャンマーはサイクロンの直撃によって甚大な被害を受けました。私どもは驚くと同時に何かお役に立ちたいと思い、大学内で募金を行いました。今日、私は新潟大学を代表してここに来ました。私どもはミャンマーの方々、特に医療関係者が自分も被災しながらも、被災者の救援に献身的に努力しておられることに敬意を表します。この救援金がサイクロン被害と病気に苦しむ人たちのために役立てば幸いです。私たちはミャンマーがこの被害から立ち直るのには大変な時間がかかることを知っています。私たちは皆さんのことを忘れませんし、これからもよき友人でありたいと思います。下條新潟大学長はじめ、新潟大学職員一同はサイクロン災害から皆様が一日も早く復興されることをお祈りします。」と挨拶しました(図6)。
院長に20,000ドルと書いた箱に大学から預かった目録をのせて渡し(図7)、院長からは感謝状をいただき(図8)、さらにわれわれ4名に記念品が授与されました。
最後にヤデナ医師が、「サイクロン被害の後、恩師内藤先生から支援のお話をいただき、いろいろと相談している中で、私は偶然病院の修理のため、院長が苦労していることを知りました。どんなことをしても、修理費はどこからも得られないので、病院長は途方にくれていました。しかし、病院の修復と診療の強化は最優先事項です。そのため内藤先生を介して新潟大学からの支援をそれにあてることにご理解をいただきました。内藤先生たちは、今回だけでなく、10年来私たちに救いの手を差し伸べてこられました。サンピュア病院はもちろん、ヤンゴン第1医科大学、ヤンゴン第2医科大学に免疫染色指導や医療機器を提供し、現在は保健研究所にインフルエンザセンターを立ち上げて指導と共同研究をしておられます。これまでの、そして今回の支援に対して新潟大学、内藤先生のチーム、新潟の皆様に御礼申し上げます。」と今回の経緯を説明しました(図9)。
飛ばされた屋根の修復を安くするため、古いトタン板も使えるものは使って修理されたためモザイク模様の屋根もありましたが、大半は新しい銀色の屋根になっていました。病院の修理費もない国、ミャンマー。そして、外国からの支援金は直接的人道支援(食料や医薬品、農具、生活用品など)に使途が限られています。建物の支援は軍政を支援することになるという立場から外国からの支援金は回ってきません。しかし、サンピュア病院は被災者の救済のための支援基地にもなっています。ヤデナ医師は医療支援チームに加わってイラワジ川流域で診療活動をしてきました(図10)。彼女の支援金使途に関する判断は適切であり、それに応えられるのは新潟大学しかなかったのです。幸い、支援金で修理はすべて賄うことができ、残金は医療支援チームの活動支援などに回すように手配いたしました。
以上、救援金を無事お届けたしたことをご報告し、学内の皆様に御礼を申し上げます。
新潟大学大学院医歯学総合研究科
細胞機能講座分子細胞病理学分野
内藤 眞 (2008/08/11)